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2018年4月17日 (火)

お遍路通信8の(16)愛媛編2018春

8日目4月3日火しまなみ海道尾道市内福山市内観光車中泊小田急バス

530頃起床し、準備をします。今日は観光だと思うと、気分爽快です。
630、朝食です。和洋のバイキングです。私は、ホテルに泊まる時、朝食は洋食にします。パン党なのです。ここの種類はそんなに多くありませんが、一泊朝食付きで5000円を切りますので、仕方がありません。妻は和洋折衷です。朝食はしっかり食べます。

715、ホテルを出発します。しまなみ街道の一部を貸し自転車では走る計画を立てて来ています。全長を走ると、8時間近くかかるらしいので、今治から大島に架かる来島海峡大橋だけを走るのです。今回の観光のメインです。走れるだろうかという不安はありません。
今治駅からタクシーでレンタサイクルを行っているサンライズ糸山に向かいます。レンタルサイクルは8時からですが、混む場合があるので早めに着きたいのです。バスの本数が少ないので、タクシーを利用します。

8時前にサンライズ糸山に到着です。先頭近くに並んだので、すぐ借りられます。料金は保証金込みで、2000円です。今風のヘルメットを始めてかぶります。私が乗る場合の問題点は、金剛杖が邪魔になることです。その解決法はリュックに差し込むことに気付きます。奇妙な恰好ですが、人の目など気にしません。

橋に入ると、やはり高さを実感します。どちらかと言えば、私は高所恐怖症ですが、妻は違います。専用道路の内側の方を進みます。来島海峡は急潮で有名です。橋上からも分かります。

慣れて来ると、怖くなくなります。記念撮影です。すごく雄大な景色です。感動します。栃木県は海なし県なので、海に対するあこがれが小さい頃から、強かったです。

柵から下を覗いてみると、やはり怖いですね。展望コーナーでも記念撮影です。

約、1時間くらいで大島に着きます。橋からすぐ近くの下田水港にある道の駅よしうみいきいき館に向かいます。そこで借りた自転車を返します。私たちがバスで生地島に行き、そこからフェリーで尾道に向かうという計画を話したところ、そこの従業員が大島の島内巡りのバス乗り場を教えてくれます。

バスの運転手にもその方法を話すと、島内にある高速バスの乗り場に行き、そこから生地島まで行けると教えてくれます。本当は大島からフェリーで島伝いに尾道まで行きたかったのですが、橋が完成したため、瀬戸内海を横断する長距離フェリーが無くなったそうです。隣の島までの近距離フェリーしかありません。そのことは路線バスについても言えます。島内だけを走る便はありますが、尾道行きの便はありません。高速バスだけなのです。高速バスではすぐに着くことが出来ますが、旅情が感じられません。
走ると、円錐形の山が見えます。20分ほどで、大島という高速バス乗り場に到着します。

40分ほど待つと、福山行の高速バスが現れます。

伯方島、大三島を過ぎます。各島には必ず円錐形の山がそびえています。時間があるなら、各島をゆっくり巡りたい。そういう願望がわいてきます。30分で生地島の停留所、瀬戸田に着きます。

ここからフェリーの発着場である瀬戸田港まではタクシーで行かなければいけません。港までの路線バスがないのです。都会と違い、乗り継ぎはスムーズではありません。でも、そこが面白いのです。太川陽介と蛭子能収の路線バスで行く旅番組をふと思い出します。
タクシーはすぐ来てくれました。イノシシ対策のためにフェンスの扉が設けられています。

10分ほどで瀬戸田港に着きます。料金は2100円です。高いですが、島内タクシーです。そのくらいしないと経営が大変のでしょう。
時間があれば、この近くに平山郁夫美術館があります。彼はこの生地島の出身です。時間があれば、寄りたいのですが、今日は尾道を観光しなければなりません。帰宅後、この美術館に寄りたかったと妻から苦情を言われました。
1120出発です。佐木島と因島を経由して尾道港に向かいます。所要時間は40分です。

船の速度が予想以上に速い。島影を見ていると、思わず小柳ルミ子の瀬戸の花嫁を口ずさむ。
だんだん畑とさよらなするのよ幼い弟行くなと泣いた〜
歌詞が絵画的である。歌われた情景は今は見られないだろう。郷愁を誘う歌である。

造船所がある島もある。観光だけでは食べていけない。私が住む北関東は首都圏に近い。この四十年で首都圏は染みのように拡大して来た。一極集中化のエリアに今や日本の人口の三分の一が住むという。当然、仕事の需要が生まれる。ゆえに若者は都会を目指す。しかしコンクリートジャングルの都会は居住空間が極少だ。田舎の方が健全な生活を送れるが、雇用がない。この問題は私が若い時から叫ばれていたが、いっこうに解決しない。政治の貧困を考えてしまう。
そんなことを考えていたら、尾道港が見えて来た。

船着き場で働いていた年配の男性に声を掛けられる。お遍路さんかい?私の頭陀袋で気付いただろう。知人からもらったのであげるよと言って八朔を2つくれる。笑顔の素敵な方だ。
尾道港の駅は新しい。広く清潔だ。待合室にはテーブルと椅子が置いてある。ここでお昼にする。お接待にいただいた八朔とアイスを食べる。

尾道港駅の前が開発されている。五十メートルほど前に尾道駅があるが、その駅も建て替え中だ。急ピッチでこの一帯が新しくなっている感じがする。春休みのせいか、かなりの人出だ。当たり前かもしれないが、映画東京物語で見られた風情は感じられない。旅番組でよく紹介される尾道本通りに進む。ここもにぎわっている。尾道は観光の街なのだから、いいことだ。

入口に林芙美子の文学碑を発見する。海が見えた海が見えるは放浪記の一節である。私は放浪記を一度読んだことがある。彼女は、今で言ったなら、すぐれたノンフィクション作家だろう。この書を読んで思ったのだが、昔であればあるほど、才能がある女性たちは大変だった。貧苦と偏見を乗り越えねばならなかった。大きな評価を受ける前に倒れた樋口一葉と異なり、林は名声を受けることが出来た。よかったと思う。この碑の前で手を合わせる。
大和湯の建物はこの商店街の目玉だろう。時間がないのでここで休むことは出来ない。

ロープウェイに乗って千光寺山に向かう。乗り場はすごい行列だ。中国語や韓国語が聞こえる。スカーフをかぶっている東南アジアの女性たちも目立つ。私の田舎もそうだが、今や日本中の観光地を外国人観光客が席巻している。少子高齢化で日本人観光客は減少しているのだから、彼らがいなければ観光地はやっていけない。日本経済を支える貴重な存在となりつつある。

案の定、山頂も混雑している。四十年前、職場の旅行で一度来たことがあり、山頂近くのホテルに泊まった。その時は閑散としていた記憶がある。下りは歩いて行くことに。下りの階段は文学のこみちになっている。文学好きの私にはたまらない。四十年前も歩いた。その時のことを思い出す。

今の若い人は志賀直哉を知らないだろう。大学時代、私は彼の作品が好きだった。代表作はほとんど読んだ。彼は、若い頃、今で言うフリーターだった。ただ、金持ちの息子のため、自由気ままに生活出来、一時尾道に住んでいたのである。その体験が幾つかの作品で反映された。
千光寺はあまりにも人が多い。お寺は四国でたくさんお参りしたので、ここは覗くだけにする。

尾道のシンボル的存在である天寧寺の三重塔が見える。こうして階段を下りていると、尾道を舞台にした大林監督の転校生を思い出す。だが、私は彼の映画の中では、青春デンデケデケデケが好きだ。この映画は60年代の香川の観音寺を舞台にし、エレキに熱中する高校生を描いている。私の世代を描いているのだ。そして私もエレキバンドをやっていた。私が主人公だと錯覚するような映画である。それから半世紀後、私はお遍路をし、今秋観音寺を訪れる。宿縁と解しよう。
再び、本通り商店街を歩き、妻がおみやげを買っている間、私は素敵な椅子でくつろぐ。木のベンチではなく、籐製の長椅子を置くことに尾道商店街のセンスの良さを感じる。


この後、17に続きます。

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